プロフィール

こんにちは。鍼灸師・パーソナルトレーナーの柴雅仁(シバ マサヒト)です。

 

【経歴】

  • 1987年1月25日生まれの37歳。32年間横浜に住み、現在は妻・子供2人・愛犬と東京都立川市に住んでいる。
  • 2007年、横浜リゾート&スポーツ専門学校を卒業。卒業後は某スポーツクラブで正社員になるが、1年4ヶ月で退職する。
  • 2009年、日本鍼灸理療専門学校に入学し、高校からやっていた筋トレが原因で「腰痛・肩の痛み」とケガや関節痛が多くなり、筋トレをやめる。
  • 2014年、「なぜ筋トレでケガが増えたのか?」と疑問を抱いていたが、ある理論を学んだ事がきっかけで、筋トレでケガや関節痛が多くなりパフォーマンスが下がった理由の答えが見つかる。
  • 僕と同じような悩みを持ってる人の力になりたい!」と思い、関節痛の治療や身体の使い方を指導。2018年には関節痛のケア方法や身体の使い方のブログ、セルフケアラボの運営を開始する。
  • 2019年、あるツイートが拡散されフォロワー数が11万人を突破!そこから本を出版し、更には所属する大手スポーツクラブティップネスの登録トレーナー600人中、売上8位になる。

  • 2020年5月、楽に動ける身体を作る事を目的とした、オンラインレッスン「セルフケアサロン」を開始。会員数200名を超える。

  • 2021年2月より、フィットネスブランドuFit(https://ufit.co.jp/)のアドバイザーとして参画。商品の使い方などを監修。
  • 2021年2月、東京都立川市に「SPTパーソナルトレーニングサロン」をオープンする
  • 2023年6月にレンタルサロンtreat自由が丘店にオープン。同年7月、9冊目の書籍「寝る前ストレッチ」を発売する
  • 2023年12月、SPTパーソナルトレーニングサロンを閉店し、レンタルサロンtreat立川店オープン。​拠点を自身のレンタルサロンに移す。そして同月末に、3年8ヶ月運営していたオンラインレッスン「セルフケアサロン」を終了する。

仕事の実績はこちら
https://selfcare-lab.com/work-experience

ここからはより細かな僕のストーリーです。どんな生い立ちをしてきたか、良かったら読んでくださいね。

名古屋生まれの横浜育ち

1987年1月25日に名古屋で生まれ、1歳で横浜市磯子区に引っ越してきました。

家族は、学生服会社を経営する父と、その手伝いをする母。あと弟と妹で、私は3兄弟の長男です。

真ん中が僕です。

細くて身体が小さく、小学校の頃は、ずっと背の順は前から2番目。そのため、腕力はとても弱かったです。

でも、運動は得意だったので、水泳を習いつつ、放課後はサッカーやバスケ、ケイドロやボール蹴りなど、毎日走って・跳んで・投げて・蹴ってと外で遊んでました。

そして、僕はよくありがちな、運動は好きだけど、勉強は嫌いなタイプだったため、成績が良いのは体育だけ。その他は、先生に目をつけられない絶妙なラインで普通な感じをキープしてました。笑

中学・高校はサッカーに打ち込む

水泳は習ってましたが、小学校の頃からどうしてもサッカーがやりたかったので、中学からサッカーを始めました。

元々足は速く、持久力もあったため、そのあたりは他と引けをとりませんでしたが、遊びでしかやったことのないサッカーで、まともな指導者がいないサッカー部に入部したため、小学校の頃からサッカーをやってた子たちと比べたら、明らかにテクニックが無く、身体が小さく細いのも変わらずだったので、フィジカルもとても弱かったです。

それでもサッカーが好きだったので、特に素晴らしい成績を残したわけではありませんでしたが、高校まではサッカーを続けました。

身体が細いのがコンプレックスで筋トレを始める。そこからスポーツ業界へ

身体が細いのは、成長しても変わらず、高校の時は身長169㎝・体重52㎏とガリガリだったので、それがすごくコンプレックスでした。

そんな自分を変えたくて17歳の時に始めたのが筋力トレーニング。先輩の真似したり、自分で色々調べながらトレーニングに励みました。

その筋トレにだいぶはまってしまいまして。

進路を決める時、「昔からスポーツ好きだし。好きなことで仕事したいから、スポーツの専門学校に行かせてくれ!」と両親にお願いして、大学に行くのをやめて、横浜リゾート&スポーツ専門学校に入学しました。

ただ、完全に勢いで入学したため、「スポーツ系の仕事って、一体何があるんだ、、、?」と何も知らず。笑

わからないから、とりあえず勉強しつつ、情報を集めるためにスポーツクラブ(ルネサンス横浜店)でアルバイトを始めました。

スポーツクラブでのアルバイトがきっかけでパーソナルトレーナーを目指す

そこで初めてパーソナルトレーナーという職業を知り、「あ。なんかこの仕事カッコいいし、面白そう!」と興味を持ち、この時からパーソナルトレーナーになることを意識し始めました。

そして、専門学校の最終学年になった19歳の時。すぐにでもパーソナルトレーナーをやりたいと思ってましたが、いきなりやる勇気がなく、「まずは社会勉強だ」と自分に言い聞かせて、エポックスポーツクラブに就職。

ですが、元々パーソナルトレーナーがやりたかったので、そこも結局1年4ヶ月で辞めてしまい、
さらに身体に関する知識をつけたいと思い、22歳の時、先輩の勧めで花田学園 日本鍼灸理療専門学校に入学しました。

間違った筋力トレーニングの影響で、ケガや関節痛が続く

スポーツクラブで社員をやっていた時も、とにかく筋トレが大好きで、コツコツ続けていった結果、52㎏だった体重が、その当時で68㎏まで増えていました。

ガタイが良くなり、力もついてきて、自分に自信がついてきたのですが、その辺りから、やけにケガや関節痛が増えてきました。

日常生活でたまに腰が痛くなる。

友達とフットサルをやってる時に肉離れや捻挫。

そこから、肉離れの後遺症がずっと治らない。

重量挙げのスナッチという種目の練習中に肩関節亜脱臼。

そこから、3回も肩が抜けて、脱臼しやすくなり、肩をかばいながら生活をする。

そして、対処法としては、たまにある腰痛は原因がわからず、とりあえずストレッチをやるくらい。
肉離れや肩関節の脱臼癖は改善するために、自分で勉強したことや、病院や整骨院の先生に聞いたことを参考に、リハビリでトレーニングをしてたのに、まるで効果がありませんでした。

今まで、筋トレはパフォーマンスを上げて、リハビリにも効いて、ケガの予防にもなって、とても素晴らしいものだと思ってたのに、何故だか真逆のことが起きていたのです。
そのため、「筋トレって本当に良いのかな。。。」なんて疑惑が出てました。

運命の出会い

そんな疑惑の念を抱きながら、鍼灸の専門学校に入学したのですが、そこで私にとっては運命の出会い。あるパーソナルトレーナーさんがいて、お願いして色々と教えていただくことになったのです。

その方から、骨格調整や身体の使い方など、全く知らなかった知識から技術まで、色々と教えてもらいました。しかも無料で。本当にありがたいことです。

そしてその方の協力もあり、23歳でパーソナルトレーナーとしてデビュー。24歳で独立を果たしました。

だが、しかし。。。

トレーナーとして、挫折を経験

いくら教わったとはいえ、まだまだ知識不足なうえに、経験不足の24歳の若造が、すぐさま売れるはずがなく、毎日毎日チラシを配ってました。長い時は、1日8時間くらい配ってた時もあります。

そして、ようやく体験が入ったと思ったら、なかなか継続してもらうことができず、「体験→数回継続→やめる」の連続。

そりゃそうですよね。痛み改善や動き改善を売りにしていたのに、

痛みがなかなか取れなかったり、動きも思ったように改善されないんですから。

そのうち生活もカツカツになり、パーソナルトレーナーを続けてくのが次第にしんどくなり、
25歳の時、結局逃げるように辞めて行きました。

その辺りで、鍼灸の学校も卒業だったので、卒業と同時に整骨院でアルバイトをしつつ、ある方の紹介で、中央学院大学硬式野球部のトレーナーを開始したのですが、その時は正直、自身もやる気も失っていたので、やり始めた仕事も、毎日毎日辞めることばかりを考えてました。

母の一言で、再始動

「もう、この業界やめようかな。。。」

そんな事を思ってて、ある時、母に相談しました。

「俺、もうトレーナー辞めようと思う」そう言ったのですが、多分母はわかっていたんでしょうね。
本当は辞めたいわけじゃないという事を。

たった一言「せっかく頑張ってやってきたんだから、もう少し続けてみれば」とだけ言ってくれました。

何気ない一言なんですが、その言葉が私にとっては大きな一言になり、「よし!リミットは30歳までだ。そこまでに必ず結果を出して、パーソナルトレーナーで飯食えるようになってやる!」と、パーソナルトレーナーとして再始動する事を決意。

そこから、色々と独立までに準備をして行き、26歳の時に再度独立を果たしました。

体軸との出会い

再度独立して2年目の時。それまで色々と勉強してきたけど、筋トレに対する疑惑がずっと晴れずで、痛みや動き改善も、昔よりはわかるようになりましたが、でも、まだ腑に落ちていませんでした。

それをクリアにするには、身体の使い方をもっと知る事が一番だとなんとなく思っていたので、
「もっと身体の使い方の勉強したいなー」と色々とネットで検索していたところ、体軸理論というものを知りました。

「これ面白そうだな。」そう思い、体軸理論を教えているスタジオ行ってみたところ、そこで衝撃を受けました。
身体の小さなセラピストが、体が大きな元ラガーマンに力負けしない現場を目撃したのです。

「え。。。嘘でしょ。やらせだろ!」

そう思ったのですが、実際目の前でその現場を目撃してしまったので、疑うに疑えず、
もしこれが現実だったら面白いと思って、体軸理論を学び始めました。

そして、学べば学ぶほど奥が深く、今まで疑問に思っていたこと。

  • なぜ筋トレを始めてから、ケガや関節痛が増えたのか?
  • なぜ肉離れの後遺症が治らないのか?
  • なぜ肩の脱臼が癖になってしまったのか?
  • なぜ痛みが取れないのか?
  • なぜ動きが変わらないのか?

が全てクリアになったのです。

そして、わかったのは筋トレが悪いのではなく、結局は身体の使い方ややり方の問題だったということ。

これらを理解できるようになってからは、肉離れの後遺症もなくなりましたし、肩の亜脱臼後の不安定さは完全には無くなりませんが、ほとんど気にならない程度に回復。
更に、施術やリハビリ・パフォーマンスアップの指導効果もあがりました。

そして、30歳の時に「JCMA認定体軸セラピスト」を取得。体軸のプロとなりました。

左上が僕です。

一年間、マラソンにどハマり

体軸セラピストを目指して勉強をしている間、その時、何気なく走ってたランニングにどハマりし、フルマラソンに挑戦することを決意。

最初は使い方もそうですが、どちらかと言えば量をこなすことを考えていたので、多い時は、週100㎞とか走っていました。

そんな感じで9ヶ月練習して、2016年12月の湘南国際マラソン。

30㎞手前で足を攣ってしまい、残り12㎞ちょっとは歩いて何とかゴールしました。その時のタイムが3時間44分。
足を攣ってのゴールだったので、悔しい結果となりました。

 

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そしてその後、今度は最後まで走りきってゴールしたかったので、量より質(身体の使い方)に重点を置き練習を再開しました。

そして、2017年3月の板橋シティマラソンで、足を止めることなくゴール。タイムは湘南国際マラソンより30分速い3時間12分でゴールすることができたのです。

 

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ちなみにこの間に、縁あって、東京マラソンで、代走のスペシャリスト、鈴木尚広選手の伴走を勤めさせていただきました。

ちゃっかりテレビデビューを果たしてます。笑

パーソナルトレーナーとしての目標を達成

26歳の時に、大手スポーツクラブティップネスの蒲田店・鶴見店でパーソナルトレーナーとして個人業務委託契約を結び、個人事業主として独立しました。

そしてパーソナルトレーナーとしての目標を2つ掲げました。

  • 月100本以上セッション行う
  • 全国のティップネス登録トレーナーの中で売上TOP10入りする

ことです。

そのためにできる努力は最大限やって、その結果2019年には全国のティップネス登録トレーナー600名中、売上8位になり、月のセッション数も140本を超えました。

情報発信を開始!

パーソナルトレーナーとして独立して、月100本ほどセッションができるようになっていた2017年。

当時30歳の僕は、今後について色々考えることがありました。

  • ずっとスポーツクラブに居続けるのか?
  • 個人業務委託だからいつ首切られてもおかしくないぞ
  • ティップネスは大手だから会社自体は潰れる可能性は低いが、でも店舗はいつ潰れるかわからない

など、今自分が置かれてる立場を俯瞰して見て考えてみると、結構リスキーなことしてると感じていました。

そしてそれと同時に

  • 自分がお客様にお伝えしているケアや運動方法は、他の人の役にも立つんじゃないか?
  • 今ネットを見てもそういった情報はあまりない感じがする

というのも思っていて、「何かできることはないかな、、、」といつも考えていました。

ただ何やったらいいのかわからないし、自信もなかったので、なかなか行動に移せづにいましたが、そんな時に妻から一言。

「え?このままスポーツクラブで一生やっていくつもり?」

その当時の僕からしたら、結構きつい一言。笑

でもそこから今後について真剣に考えるようになり、そのこととちゃんと向き合うようにして、2018年に情報発信をスタートしようと思い、ブログ「セルフケアラボ」の運営を開始しました。

Twitterがバズる→書籍出版→法人成り

情報発信を始めてからブログを毎日書いていて、少し慣れてきた頃、SNS発信もしようと思い、TwitterやInstagramで簡単な発信をし始めました。

始めたはいいものの、全然伸びる気配がなかったですが、それでも発信し続けていたら、たまたまツイートしたある内容が、何故かちょっとだけ拡散されました。

そこから「なぜこのツイートは拡散されたんだろう?」と考えて、仮説を立て、検証を繰り返したいたら、2019年1月にあるツイートが大バズり。

そこから似たようなツイートを量産して、その結果半年でフォロワー数が10万を超えました。

多分一番バスったのはこのツイートかなと思います。

そしてそこから出版社から書籍出版の依頼がきて、2019年に4冊出版。

法人成りもして、合同会社SCラボを設立しました。

コロナきっかけで独立

Twitterのフォロワー数が一気に増え、書籍を出版。そしてパーソナルトレーナーとしての長年の目標も達成して、2019年は順風満帆でしたが、、、

2020年、新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツクラブティップネスは3ヶ月間閉店。

この時、メインの収入源がトレーナー業だったので、収入はほぼ0に。

緊急事態宣言中は時間を持て余していたので、今後についてじっくり考えました。

そんな時に思ったのは「これをきっかけにスポーツクラブを離れて独立しようかな。」ということ。

そこから色々行動に移し、緊急事態宣言中の2020年5月にオンラインレッスン「セルフケアサロン」をスタート。

2020年夏に、家庭の事情もあり、横浜を離れ東京都立川市に引っ越し。そこにあるレンタルサロンでパーソナルセッションをスタート。

2021年2月に「整体+運動」SPTパーソナルトレーニングサロンをOpenさせて、アルバイト時代を含めたら10年以上お世話になったスポーツクラブティップネスを、2021年3月末に辞めました。

レンタルサロンをOpen パーソナルトレーニングサロンClose

コロナも落ち着いた2023年。その時僕は、オンラインレッスンをやりつつ、SPTパーソナルトレーニングサロンでパーソナルをしてましたが、それ以外に出張で都心部や横浜、埼玉でもパーソナルをやっていました。

その時使用してたのがレンタルサロン。

SPTパーソナルトレーニングサロンをOpenする前にもレンタルサロンを使用してたので、この時数年ぶりにレンタルサロンでパーソナルをやっていました。

そこで色々なレンタルサロンを使用してみましたが、

  • ここをもっとこうしたら使いやすいのに
  • なんでここをもっと綺麗にしておかないんだろ

など、自分がレンタルサロン運営者だったらこうするなーみたいな事をぼんやり考えていました。

そしてその他にも、パーソナルトレーナーのデメリットについても考えるようになり、、、

  • 属人性が高すぎる
  • 自分が倒れたり、亡くなったら終わる

ということ。

それを補えるものは何かないか?という事も考えていました。

そしてそんな事を考えてるうちに、レンタルサロン運営に興味が出てきて、色々調べてみることに。

そしたら、レンタルサロンは、初期投資はそこまで高くなく、自分がそこまで稼動しなくても利益になり、ある程度軌道に乗せれば自分じゃなくても運営できるということを知りました。

運営に興味あるし、パーソナルトレーナーのデメリットを補えることがわかったので、2023年2月末「レンタルスペースの学校」に入学。

オンラインで講座を受けながら、先生に色々相談して、2023年6月にレンタルサロンtreatを自由が丘にOpen。同年12月に2号店を立川にOpenさせました。

そして立川での拠点をレンタルサロンtreat立川店に移し、SPTパーソナルトレーニングサロンを12月末に閉店しました。

そして現在は、、、

オンラインレッスンも2023年12月末に辞めて、

37歳になった2024年1月現在は、

  • 立川・自由が丘・錦糸町・横浜でパーソナル
  • レンタルサロン2店舗運営
  • SNSでの情報発信

をしています。

今後はレンタルサロンの店舗展開をしつつ、今まで通りパーソナルセッションを実施。あと長らくストップしていたブログ(2021年から更新してません)をマイペースに再開しようかと。

といっても、SNSにあげてる記事をそのまま載せるだけですが。笑

時間ある時に載せていきたいと思います。

こんな感じで日々活動してますので、どうぞよろしくお願いします!