目次
セルフケアラボとは?
- 関節を痛めて病院で治療しているが、なかなか改善されない
- 何度も同じところや、関連しているところを痛めてしまう
- 痛みで日常や仕事、運動に支障をきたしている
- 痛みはないが動きが悪く、その影響で運動パフォーマンスがあがらない
こんなお悩みありませんか?
パーソナルトレーナーとして8年、治療家として6年。これまで何百人と身体を診てきましたが、こういったご相談をされる事がとても多いです。
そしてこのような悩みをお持ちの方達に共通のしていることは
間違った身体の使い方をしている
ということ。
使い方を間違えているから痛みが取れないし、取れてもまた同じことを繰り返してしまいます。そのためパフォーマンスもなかなかあがらないのです。
これを解決するには、正しい動きや正しい使い方を身体に覚えさせる必要があります。
セルフケアラボでは
「自分の身体は自分で正す」
をコンセプトに、自身でできるセルフケア方法や負担をかけない身体の使い方、動ける身体の作り方を発信していきます。
「これを読めばすぐに痛みが取れます!」
「そして二度と痛めることはありません!」
「パフォーマンスもすぐに高めることができます!」
とはいきませんが、痛みを取り、ケガをしない、動ける身体を作るキッカケになると思います。
皆さんの生活がより楽しく快適になるように、セルフケアラボが全力でサポートさせていただきます。
運営者プロフィール
こんにちは。関節痛のセルフケア&スポーツマンの動きを変えるパーソナルトレーナーの柴雅仁(シバ マサヒト)です。
【経歴】
・1987年1月25日生まれの31歳。横浜市鶴見区在住。
2007年、横浜リゾート&スポーツ専門学校を卒業。卒業後は某スポーツクラブで正社員になるが、1年4ヶ月で退職する。
・2009年、日本鍼灸理療専門学校に入学し、高校からやっていた筋トレが原因で「腰痛・肉離れ・肩の脱臼」とケガや関節痛が多くなり、筋トレをやめる。
・2014年、「なぜ筋トレでケガが増えたのか?」と疑問を抱いていたが、ある理論を学んだ事がきっかけで、筋トレでケガや関節痛が多くなりパフォーマンスが下がった理由の答えが見つかる。
「私と同じような悩みを持ってる人の力になりたい!」と思い、関節痛の治療や身体の使い方を指導。2018年には関節痛のケア方法や身体の使い方のブログ、セルフケアラボの運営を開始する。
・現在は月間平均20万PVになったセルフケアラボの運営をしつつ、大手フィットネスクラブティップネスの鶴見店・蒲田店で活動し、年間セッション数1400〜1500で店舗売り上げNo.1。その他有料記事を累計2500部販売、身体に関する記事の執筆(2社と契約中)、セミナー講師なども行なっている。
記事執筆の契約をしているのは
- 体軸コンディショニングスクール→https://taijikuconditioning.com/category/writer/*柴雅仁
- オトナサローネ→https://otonasalone.jp/author/writer-m-si/
ここからはより細かな私のストーリーです。
どんな生い立ちをしてきたか、良かったら読んでくださいね。
名古屋生まれの横浜育ち
1987年1月25日に名古屋で生まれ、1歳で横浜市磯子区に引っ越してきました。
家族は、学生服会社を経営する父と、その手伝いをする母。あと弟と妹で、私は3兄弟の長男です。
※真ん中が私です。
細くて身体が小さく、小学校の頃は、ずっと背の順は前から2番目。そのため、腕力はとても弱かったです。
でも、運動は得意だったので、水泳を習いつつ、放課後はサッカーやバスケ、ケイドロやボール蹴りなど、毎日走って・跳んで・投げて・蹴ってと外で遊んでました。
そして、私はよくありがちな、運動は好きだけど、勉強は嫌いなタイプだったため、成績が良いのは体育だけ。
その他は、先生に目をつけられない絶妙なラインで普通な感じをキープしてました。笑
中学・高校はサッカーに打ち込む
水泳は習ってましたが、小学校の頃からどうしてもサッカーがやりたかったので、中学からサッカーを始めました。
元々足は速く、持久力もあったため、そのあたりは他と引けをとりませんでしたが、
遊びでしかやったことのないサッカーで、まともな指導者がいないサッカー部に入部したため、
小学校の頃からサッカーをやってた子たちと比べたら、明らかにテクニック無く、
身体が小さく細いのも変わらずだったので、フィジカルもとても弱かったです。
それでもサッカーが好きだったので、特に素晴らしい成績を残したわけではありませんでしたが、
高校まではサッカーを続けました。
身体が細いのがコンプレックスで筋トレを始める。そこからスポーツ業界へ
身体が細いのは、成長しても変わらず、高校の時は身長169㎝・体重52㎏とガリガリだったので、それがすごくコンプレックスでした。
そんな自分を変えたくて17歳の時に始めたのが筋力トレーニング。
先輩の真似したり、自分で色々調べながらトレーニングに励みました。
その筋トレにだいぶはまってしまいまして。
進路を決める時、「昔からスポーツ好きだし。好きなことで仕事したいから、スポーツの専門学校に行かせてくれ!」と両親にお願いして、
大学に行くのをやめて、横浜リゾート&スポーツ専門学校に入学しました。
ただ、完全に勢いで入学したため、「スポーツ系の仕事って、一体何があるんだ、、、?」と何も知らず。笑
わからないから、とりあえず勉強しつつ、情報を集めるためにスポーツクラブ(ルネサンス横浜店)でアルバイトを始めました。
スポーツクラブでのアルバイトがきっかけでパーソナルトレーナーを目指す
そこで、初めてパーソナルトレーナーという職業を知り、「あ。なんかこの仕事カッコいいし、面白そう!」と興味を持ち、
この時からパーソナルトレーナーになることを意識し始めました。
そして、専門学校の最終学年になった19歳の時。すぐにでもパーソナルトレーナーをやりたいと思ってましたが、
いきなりやる勇気がなく、「まずは社会勉強だ」と自分に言い聞かせて、エポックスポーツクラブに就職。
ですが、元々パーソナルトレーナーがやりたかったので、そこも結局1年4ヶ月で辞めてしまい、
さらに身体に関する知識をつけたいと思い、22歳の時、先輩の勧めで、花田学園 日本鍼灸理療専門学校に入学しました。
間違った筋力トレーニングの影響で、ケガや関節痛が続く
スポーツクラブで社員をやっていた時も、とにかく筋トレが大好きで、コツコツ続けていった結果、52㎏だった体重が、その当時で68㎏まで増えていました。
ガタイが良くなり、力もついてきて、自分に自信がついてきたのですが、その辺りから、やけにケガや関節痛が増えてきました。
日常生活でたまに腰が痛くなる。
友達とフットサルをやってる時に肉離れや捻挫。
そこから、肉離れの後遺症がずっと治らない。
重量挙げのスナッチという種目の練習中に肩関節亜脱臼。
そこから、3回も肩が抜けて、脱臼しやすくなり、肩をかばいながら生活をする。
そして、対処法としては、たまにある腰痛は原因がわからず、とりあえずストレッチをやるくらい。
肉離れや肩関節の脱臼癖は改善するために、自分で勉強したことや、病院や整骨院の先生に聞いたことを参考に、リハビリでトレーニングをしてたのに、まるで効果がありませんでした。
今まで、筋トレはパフォーマンスを上げて、リハビリにも効いて、ケガの予防にもなって、とても素晴らしいものだと思ってたのに、何故だか真逆のことが起きていたのです。
そのため、「筋トレって本当に良いのかな。。。」なんて疑惑が出てました。
運命の出会い
そんな疑惑の念を抱きながら、鍼灸の専門学校に入学したのですが、そこで私にとっては運命の出会い。
あるパーソナルトレーナーさんがいて、お願いして色々と教えていただくことになったのです。
その方から、骨格調整や身体の使い方など、全く知らなかった知識から技術まで、色々と教えてもらいました。
しかも無料で。本当にありがたいことです。
そしてその方の協力もあり、24歳でパーソナルトレーナーとして独立を果たしました。
だが、しかし。。。
トレーナーとして、挫折を経験
いくら教わったとはいえ、まだまだ知識不足なうえに、経験不足の24歳の若造が、すぐさま売れるはずがなく、毎日毎日チラシを配ってました。
長い時は、1日8時間くらい配ってた時もあります。
そして、ようやく体験が入ったと思ったら、なかなか継続してもらうことができず、「体験→数回継続→やめる」の連続。
そりゃそうですよね。痛み改善や動き改善を売りにしていたのに、
痛みがなかなか取れなかったり、動きも思ったように改善されないんですから。
そのうち生活もカツカツになり、パーソナルトレーナーを続けてくのが次第にしんどくなり、
25歳の時、結局逃げるように辞めて行きました。
その辺りで、鍼灸の学校も卒業だったので、卒業と同時に整骨院でアルバイトをしつつ、ある方の紹介で、中央学院大学硬式野球部のトレーナーを開始したのですが、
その時は正直、自身もやる気も失っていたので、やり始めた仕事も、毎日毎日辞めることばかりを考えてました。
母の一言で、再始動
「もう、この業界やめようかな。。。」
そんな事を思ってて、ある時、母に相談しました。
「俺、もうトレーナー辞めようと思う」そう言ったのですが、多分母はわかっていたんでしょうね。
本当は辞めたいわけじゃないという事を。
たった一言「せっかく頑張ってやってきたんだから、もう少し続けてみれば」とだけ言ってくれました。
何気ない一言なんですが、その言葉が私にとっては大きな一言になり、「よし!リミットは30歳までだ。そこまでに必ず結果を出して、パーソナルトレーナーで飯食えるようになってやる!」と、パーソナルトレーナーとして再始動する事を決意。
そこから、色々と独立までに準備をして行き、26歳の時に再度独立を果たしました。
体軸との出会い
再度独立して2年目の時。それまで色々と勉強してきたけど、筋トレに対する疑惑がずっと晴れずで、痛みや動き改善も、昔よりはわかるようになりましたが、でも、まだ腑に落ちていませんでした。
それをクリアにするには、身体の使い方をもっと知る事が一番だとなんとなく思っていたので、
「もっと身体の使い方の勉強したいなー」と色々とネットで検索していたところ、体軸理論というものを知りました。
「これ面白そうだな。」そう思い、体軸理論を教えているスタジオ行ってみたところ、そこで衝撃を受けました。
身体の小さなセラピストが、体が大きな元ラガーマンに力負けしない現場を目撃したのです。
「え。。。嘘でしょ。やらせだろ!」
そう思ったのですが、実際目の前でその現場を目撃してしまったので、疑うに疑えず、
もしこれが現実だったら面白いと思って、体軸理論を学び始めました。
そして、学べば学ぶほど奥が深く、今まで疑問に思っていたこと。
- なぜ筋トレを始めてから、ケガや関節痛が増えたのか?
- なぜ肉離れの後遺症が治らないのか?
- なぜ肩の脱臼が癖になってしまったのか?
- なぜ痛みが取れないのか?
- なぜ動きが変わらないのか?
が全てクリアになったのです。
そして、わかったのは筋トレが悪いのではなく、結局は身体の使い方ややり方の問題だったということ。
これらを理解できるようになってからは、肉離れの後遺症もなくなりましたし、肩の亜脱臼後の不安定さは完全には無くなりませんが、ほとんど気にならない程度に回復。
更に、治療やリハビリ・パフォーマンスアップの指導効果もあがりました。
そして、30歳の時に「JCMA認定体軸セラピスト」を取得。体軸のプロとなりました。
※左上が私です。
一年間、マラソンにどハマり
体軸セラピストを目指して勉強をしている間、その時、何気なく走ってたランニングにどハマりし、フルマラソンに挑戦することを決意。
最初は使い方もそうですが、どちらかと言えば量をこなすことを考えていたので、多い時は、週100㎞とか走っていました。
そんな感じで9ヶ月練習して、2016年12月の湘南国際マラソン。
30㎞手前で足を攣ってしまい、残り12㎞ちょっとは歩いて何とかゴールしました。その時のタイムが3時間44分。
足を攣ってのゴールだったので、悔しい結果となりました。
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そしてその後、今度は最後まで走りきってゴールしたかったので、量より質(身体の使い方)に重点を置き練習を再開しました。
そして、2017年3月の板橋シティマラソンで、足を止めることなくゴール。タイムは湘南国際マラソンより30分速い3時間12分でゴールすることができたのです。
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ちなみにこの間に、縁あって、東京マラソンで、代走のスペシャリスト、鈴木尚広選手の伴走を勤めさせていただきました。
ちゃっかりテレビデビューを果たしてます。笑
痛みのない動ける身体を作る
体軸セラピストになってからお客様も増えだし、月に約120名ほどの方を見させていただけるようになりました。
もちろん、当初「リミット30歳まで!」と決めていた目標も気づけば達成していて、現在では結婚して、妻・息子・ペットの犬と3人と一匹暮らしをいしています。
そして、31歳になった2018年2月、身体調整ブログ、セルフケアラボの運営を開始。32歳になった現在では、ブログの月間平均PV数が20万となり、その他有料記事を累計2500部販売、身体に関する記事の執筆(2社と契約中)、セミナー講師なども行なっています。
このブログでは、痛みのない動ける身体を自分の力でどうやって作り出すか?について書いています。
自分の身体ですからね。自分で正そうとしなければ変えることはできません。私の過去の経験や、得てきた知識を、ブログを通じてお伝えできたらと思っています。
正しい動きや正しい使い方を身体に覚えさせ、生涯現役の動ける身体を手に入れましょう!